TOP >> おおむたの宝もの100選

  このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」という本の中から隔週ひとつづつ紹介していくページです。
|炭鉱の発展と市民の生活を支えた400万馬力ディーゼルポンプ|
建物
Vol.29
清里水源地
▼水道施設につき立入禁止となっている。施設見学は小学4年生を対象に毎年春実施している▼照会先=大牟田市水道局総務課企画担当 TEL0944(41)2840
 大牟田市の水道は、荒尾市の清里水源地から始まった。現在、荒尾市の清里水源地には、9本の源井(井戸)が稼動し、ここから四ッ山配水池を通じて大牟田市南部に日量約7000立方メートルの配水を行っている。これは市内全配水量の2割弱の割合である。
 1907年、大牟田町(市制は1917年 )の予算に水道調査費が計上され、いくつかの水源を調査したが理想的な水源が見つからなかった。
 ところが1910年、三池炭鉱社が玉名郡清里村(現荒尾市清里)で石炭の試掘を行っていたところ、60メートルの深さに達した時、直径36センチの試掘穴から1時間に40立方メートルもの地下水が自噴(ポンプなどを使わすに地上まで水が出てくること)した。
 清里地区は昔から地下水が豊富な所であり、田んぼに竹を刺すと水が湧き上がることがあった、という話が言い伝えられている。
 この後1917年、大牟田市は清里の地下水を水源として、総工費176万円の費用(当時、市の予算総額は22万程度)を投じて水道事業を興すことにした。
 当時の大牟田市は、炭鉱の開発とともに転入者が増加している時代であったが、市街地の多くは土地が低く湿地性であり、宅地不足のために沼地を埋め立てて住宅を建築するところが多かった。そのため、各家庭の汚水が浅井戸に浸透して井戸水が飲料に適さなくなる地域が多く出てくるなどの事情で、水道による給水が急務となっていた。
 清里総合ポンプ場に設置している400万馬力ディーゼルポンプ(現在は使用しなくなった)には1936年の銘板が貼ってあり、現在もその黒光りした雄には圧倒される。当時としては最新鋭の超大型送水ポンプであったと思われる。
 数年前まで運転していた時は、全体から力がみなぎっていて、停止している時の「静」と運転している時の「動」は、写真で見ても雰囲気が違う。
 過去には、当時の内務省より、清里の地下水汚染に起因するとされた「爆発赤痢事件」が発生した(1937年9月25日)。しかし、当時の熊本大学教授や陸軍省の軍医はこれを否定的見解を示している。今となっては完全な究明は不可能だが、いずれにせよこの事件を機に、水道水の塩素滅菌消毒(いわゆるカルキ消毒)が始まった。


▲TOP
▲バックナンバー