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| このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」という本の中から隔週ひとつづつ紹介していくページです。 | |
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|三井炭鉱海底坑道への通気坑|
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Vol.46
人工島 |
▼三井石炭鉱業株式会社三池事務所▼現地には船をチャーターしなければ行けない。甘木山などの高い場所や海岸から遠望することができる
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| 人工島といえば初島(はつしま)である。いや、三池島もあると言われるかもしれない。しかし、事はそれほど単純ではない。 初島は、沖合約2キロに位置する直径120メートルの円形の島である。1949年10月着工で、1951年8月に完成した。水深4メートルのところに築かれているが、有明海底の軟弱な潟土の上であるので、まず金網を敷いて捨石による基礎を造り、石垣を組み上げて構築するという創意工夫が凝らされ、全く前例のない工事であった。 三池炭鉱が、海底下へ坑道を延ばしていくにあたり、深部に通気するため、海上に通気坑を開削する必要が生じた。これを克服したのが、初島である。当時、土木工学の成果として「昭和の国づくり」とまでいわれた。1954年に初島立坑が完成した。島の面積は1万4099.194平方メートルで、1953年4月1日に大牟田市の区域に編入された。 三池島は、沖合5.5キロに位置する、直径92メートルの円形の島である。1970年12月に完成した。水深10メートルの所であり、厚さ15メートルの潟土をポンプ式浚渫(しゅんせつ)船で排除し砂と置き換えて地盤を造り、その上に造船所で造った鋼製の枠組みを、大型クレーン船で据付け、周囲に鋼矢板を取り付けて構築された。 面積は約6400平方メートルで、深さ約520メートルの立坑で坑内通気を担っていた。初島が排気立坑であったのに対して、三池島は入気立坑であった。閉山前は、入気に吸い込まれて、鳥が坑底に落ちてくるという現象が問題となり、鳥たちの受難防止のため、坑口に柵を設けられたが、今その危惧はない。むしろベニアザサシやコアザサシといった、絶滅を危惧されるような鳥たちが安らげる場所となっており、愛鳥家からはこの環境の保存を求める声が上がっている。 現在、「島」の形状をなしているのはこの二島だが、三池島は第三人工島と呼ばれる。実は、四山港沖立坑があった場所が、かつて第二人工島であった場所なのである。1953年に完成したが、その後周囲が埋め立てられることにより、陸続きとなったのである。 さらに、大牟田市内ではないが、三池炭鉱にはもう一つの人工島があった。厳密には、築造時は三池炭鉱ではなく日鉄鉱業に属していた。後の有明鉱である。 1951年有明鉱区を取得した日鉄鉱業は、1958年10月から高田町地先海面に人工島の建設を始め、1967年に2つの立坑を完成させた。この人工島直径約205メートルと大きなものであったが、せっかく完成した立坑も異常出水のため日鉄時代にはついに採炭にこぎつけなかった。その間、この人工島の所まで干拓事業により農地が開拓され、陸続きとなったのである。 1972年に三井鉱山が日鉄から買い取った後、1974年に着炭に成功、1976年7月から営業出炭が開始された。有明鉱で採掘された石炭は、三川鉱の坑口から揚炭され、そのまま閉山まで継続された。 |