TOP >> おおむたの宝もの100選

  このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」という本の中から隔週ひとつづつ紹介していくページです。
|躍動する工場都市。大牟田の象徴|
炭鉱
Vol.48
三井化学工場群
大牟田市浅牟田町30▼JR大牟田駅から西鉄バスで東新町下車、徒歩10分▼三井化学株式会社大牟田工場TEL0944-51-8111▼敷地内は関係者以外立入禁止。大きな施設は敷地外からでも見える。
 大牟田には「工場の中の道」と呼ばれる道路がある。瓦町の交差点から、大浦を経て七浦に至る道路である。
 通行してみると、確かに「工場の中」とうい表現がぴったりだと思わせるように、何本ものパイプラインが頭上を横切っている。今では慣れたが、れっきとした市道であるにも拘わらず、「工場の中」と呼ばれているのが初めは不思議だった。
 この道の両側に広がる工場こそ、三井化学の工場群である。大牟田の市街地の東に接する所から、高取山の方まで、広大な敷地を誇る大工場である。
 しかし、この敷地は管理が厳しく、関係者以外はよほどのことがないと立ち入ることはできない。それでも、大きな施設はどこからでも見えており、工業都市大牟田の景観をつくり出す重要な要素をなしている。
 特に顕著な建物は、白亜のビルディングのJ工場である。この建物は、1938年の建設当時“東洋一”の高さを誇る建物であり、大牟田の町のシンボルともいわれた。ちなみに高さは47メートル、南北長64メートル、東西長52メートルである。鉄筋コンクリート造陸屋根7階建。高さは塔屋部を含むと55メートルとさらに高くなる。
 円筒形の巨大なガスタンクもいくつか見られるが、団琢磨氏の残した写真の中に、現在あるのと同じ形のガスタンクが1930年に建設されている様子を写したものがあるので、70年も前から見られた風景であることが分かる。
 また、赤白に塗られた高い煙突も、どこからでも見えるほどの高さである。
 三井化学大牟田工場は、1997年までは三井東圧化学大牟田工業所であった。その三井東圧は、1941年設立の三井化学工業と1933年設立の東洋高圧工業が1968年に合併してできた会社である。それに先立つ1962年には、1946年設立の三池合成工業を三井化学工業が吸収合併しているので、大きくはこの三社の事業が引き継がれていることになる。
 しかし、さらに元をたどれば、三井鉱山が、三池炭鉱に設けた焦煤(コークス)工場がその発端と考えられる。三井が三池炭鉱の払い下げを受けてコークス炉の新設を行ったのが1892年であるから、三井化学の歴史もそこまでさかのぼるのである。
 大牟田では、炭鉱で石炭を採掘するだけでなく、それを利用した化学コンビナートが形成されたことが大きな特徴であり、利点である。
 三池炭鉱の石炭の加工と副産物の利用から始まった三井化学の歴史は、三池炭鉱が閉山した今日なお、新たなページを書き加えつつあり」、さらに将来に向けて大きく発展し、郷土を支える産業として活躍が期待される。
 市民が直接触れる形での製品の製造をしていないため、身近に感じない点は残念であるが、三井化学大牟田工場で生産された製品がなければ、現在の私たちの生活は成り立たないほど、産業界には浸透していることを理解して、誇りにしてほしいものである。


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