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三十数年前、小学生の私には、砂岩質の岩がそびえ立ち、西日に映える姿は西部劇に登場するインディアンの砦に見えた。当時、多くの子供たちは「アパッチ砦」と呼んでいた。
アパッチ族は北アメリカ北部の針葉樹林地帯に居住していた遊動的な採集狩猟民であったが、白人の北アメリカ進出の頃に南下し、ニューメキシコ州からアリゾナ州にかけて居住していた。東部アパッチ族は特に機動力と武勇で知られていたという。ジョン・フォードが監督し、ヘンリー・フォンダが主演した『アパッチ砦』が1948年に製作されているので、その影響を受け大人たちがそう呼んでいたのかもしれない。
現在の私の目には、象徴的にそびえ立ったと記憶していた砂岩質の岩は小さく見え、樹木が生えたこともあり、アパッチ砦の面影は見出せなかった。しかし、砦の裏側に登ると、砂岩質の岩は健在であり、砂岩や頁岩のむき出しの地層が当時を思い起こさせた。風化した地層は土壌になる前に流失するためか、雑草もあまり根づいていなかった。そこには子供の頃、インディアンごっこやかくれんぼをした風景が展開していた。
小学1年生と3年生の父親となった今、世田谷区羽根木公園の「冒険遊び場」のようなプレイパークとして利用できたら、という思いが募る。遊び好きな親たちと30数年前にタイム・スリップして、考えてみたい。
アパッチ砦の西側には住宅がすぐ近くまで建っている。そこに露出している地層にひときわ目立つ黒い層がある。石炭層だ。道路を隔てて大牟田記念病院の南側にある台地状のこの一帯には古第三紀の稲荷層が露出している。古第三紀層は中生代の白亜紀につづく新生代の最初の紀である。古第三層紀層の稲荷層には中粒砂岩と頁岩の地層とともに石炭の地層が見られる。
三池炭鉱で稲荷層より採掘された石炭層は3〜5メートルあるのに対して、ここに見られるのは30センチ足らずの層である。なんだそんなもんかと思う前に、あなたの想像力により太古の昔に思いを馳せてほしい。石炭は、土に埋もれた植物残骸の層が20〜30分の1の暑さに押し固められる。つまり、5千万年前にはそこに6〜9メートルの太古の木々の堆積物があったのである。
太古の昔、針葉樹や落葉広葉樹などの植物が枯死や倒壊し、やがて水中に没した。ゆっくりと
分解される植物の残骸は、地下に土砂とともに埋没し、長い年月をかけて地熱と地圧の作用を受け、泥炭→褐炭→瀝青炭→無煙炭と変化していくのである。
子供の眼に「アパッチ砦」と映った風景、地層がむき出しで雑草が生えない環境、石炭層に触れながら5千万年前の太古の森と木々に思いを馳せる場所。そして、石炭産業により私たちの街大牟田の現在の姿があるということ。石炭産業の展開に伴い、技術革新や社会問題が起こり、その過去は私たち市民の一部である。私たち人間を作り上げてきたものである。
過去は本の中にあるのではなく「ここにある」という思いを大切にしたいものである。
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