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大牟田市の北東部に岩本がある。橘交差点から南関インターへ向かって行くと、上内小学校との中間地点右側(約200メートル前方)の田圃の中に、大小2個の岩が見える。これが岩本の長者岩である。
長者岩の所在地である岩本を、はじめ三池郡上内村大字岩本と表記するようになったのは1889(明治22)年からで、1907年より三池郡銀水村大字岩本となる。その後、1941年大牟田市に編入されて、大牟田市大字岩本となった。
長者岩は、地質研究家古藤先生のご教示によれば、花崗岩の一種(玉名花崗閃緑岩)であるという。この岩石は熊本県の玉名から福岡県の大牟田市にかけて分布しているもので、今からおよそ9千万年前に生成したものといわれる。
長者岩の形を一見してたとえれば、ラグビーボールを転がして半分を地下に埋めた形状で、大岩の高さは目測で約3メートル、幅3.5メートル、長さは東西に6メートルはあり、小岩は大岩に寄り添うようにして、大岩の3分の1程度である。
過日、長者岩の側を作業着姿で通りかかった地元の老婦人に言葉をかけると、子供の頃夏には、すぐ横を流れる汐井川で泳いだ後、この長者岩の上に登って甲羅干をして遊んだといい、以前の岩はもっと背丈が高かったが、近年農地の圃場整備の際盛土に埋もれて、今は背丈が低くなった、とうことであった。
そして別れ際に、この岩にイタズラをすると祟りがあると昔から言われていた、と遠い子供時代を懐古しながら語って去った。
さて、この長者岩には、次のような伝承があるのをご存じだろうか。
昔、上内に岩本長者が住んでいた。田畑や山林のほかにたくさんの財宝を持ち、裕福な日々を送っていた。
そして、いつの頃からか誰が運んだか分からない大きな岩が、長者の屋敷にデーンと据っていた。長者は、この大岩を庭石にして、泉水を掘って川から水を引き入れ、四季の草花や樹木を植えてみごとな庭園を造り上げた。
このように、何不自由のない暮らしをしていた長者だが、天命には勝てずとうとう亡くなってしまった。
歳月は流れて長者屋敷も庭園も荒れ果て、跡形もなくなったが、庭園の大岩だけはちゃんと残っていた。
後世になって、屋敷跡も田圃に変わり、大岩が邪魔になるので、村人たちの合意で取り壊すことに決まった。大岩にノミをあてて金槌で叩くと、岩の割れ目から真っ赤な血が流れてきたので、石工は驚いて石割りを中止した。
触ると祟りがあると言われて、今も田圃の中に据っていて、岩本の地名起源の伝説として、地元の人々に語り継がれている。この種の類話は各地にあって、近隣では三池郡高田町竹飯の伝承に、昔村人が巨岩(ドルメン)を破砕しようと金槌で叩いたら岩から血が流れたので作業を中止したという。また熊本県本渡市亀場に夫婦岩があり、人夫が岩を割ると血が出たという伝承もある。
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