• トップページ >
  • おおむたの宝もの100選|自然・風景| >
  • Vol.16 延命公園
  • おおむたの宝もの100選

     自然・風景

    vol.16 延命公園

    中心部にあって大牟田市を代表する緑の公園

     この公園は、1940年に本市で最初に開設された公園で、広さが18.1ヘクタールの総合公園である。園内には、体育館、野球場などのスポーツ施設や動物園などがあり、また、1500本のサクラが植えられ、散歩やレクリエーションなど、年間を通じて多くの市民に親しまれている。
     市街地の中心部に位置するこの公園は、1937年、市制20周年記念事業として、片平山一帯を公園整備することが決定された。
     園内は、三つの山とこれに挟まれた谷部からなり、また全域が自然林で覆われたおり、この自然と地形を利用することに重点をおいて設計され、市街地に近接する地域に広場や日本庭園などが計画された。設計者の井上清氏は東京都の公園整備で手腕を発揮した人である。
     1937年4月から用地買収を開始し、1939年6月に施設整備に着手した。当年9月に工事中、石棺(宅ヶ峰古墳)が発見され、人骨3体が発掘された。1940年8月10日には公園施設の一部を完成させ開園、引き続き1941年に動物園が誕生し、1957年7月には延命プールが完成した。また、同年9月には大牟田産業科学大博覧会の会場となり、同記念事業として、同年12月に延命球場が開設され、翌年3月にはこの博覧会の石炭科学館を改装し、市民体育館が完成した。
     産業科学大博覧会は大牟田市制40周年記念事業として開催され、当時の大牟田を象徴する一大イベントであった。現在、体育館前広場にある炭鉱夫像と裸婦像3体は、この博覧会の記念モニュメントとして、当時の佐賀大学特設美術彫塑教室の5人グループが制作し設置したものである。
     その後、1962年に野外音楽堂が完成し、1968年5月には、この公園の頂上部に当時の夏場の水不足や高台地区の出水不良を解消するため、延命配水池が築造された。この配水池の上部は展望台となっており、市内が一望できるようになっている。また、1973年に青年の家、1974年に新体育館が完成し、1982年には福祉の森が整備された。
     しかしながら、順次整備されてきた施設の中には、周辺の環境変化や社会状況の変化に対応できないものも目だっており、1988年に策定した延命公園再開発構想にもとづき、駐車場、お花見広場、こもれび広場などの整備に着手し、1992年には動物園が新装オープンした。最近では、2001年に延命球場の改築が行われた。
     このように延命公園は、開設以来、大牟田の中心部という恵まれた立地条件と緑豊かで広大な敷地を有することから、春の花見をはじめ、スポーツ、レクリエーションや散歩など、多くの人々が利用しており、大牟田市民が誇れる公園として親しまれてきた。1999年に実施した市民意識調査の中でも、大牟田市を代表する緑として延命公園がトップの評価を得ており、今後もこの公園を市民の大切な財産として大事にしたい。

    ▼大牟田市昭和町223▼JR大牟田駅から徒歩15分▼利用施設=市民体育館、延命球場、延命プール、動物園、野外音楽堂、青年の家▼駐車場あり(バス21台、普通車190台)

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
    このページにつきましては、「大牟田市役所主査・主任会」の許可なく写真、文章などの転載を禁じます。
    リニューアル後、随時更新予定です。 製作・運営:大牟田観光協会

    Copyright © Omuta Tourism Association. All Rights Reserved.