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     炭鉱

    vol.39 万田坑跡

    明治時代のわが国における最大の炭鉱施設

     万田坑は、1951年まで石炭を掘った三池炭鉱の主力坑である。当時日本一の大会社であった三井鉱山が、炭鉱業界の模範となるような坑口施設を造るため、総力を挙げて建設したもので、明治時代に造られた炭鉱施設としてはわが国最大の規模を誇った。
     深さ約270メートルの立坑が2ヵ所に掘られ、その周囲に巨大な施設が造られ、多くの人が働いていた面影には程遠いが、現在なお、第2立坑の櫓、巻上機室などの坑外施設がよく残っている。
     巻上機室は、2棟のれんが造りの建物を丈比べに連接し、高い覇王にゲージの巻上機が設置され、低い方には重量物の搬出入に使うウインチが据え付けられている。櫓は鋼鉄製で、高さは約18メートルである。宮原坑第2立坑の櫓がすらりと背が高く軽快であるのに比べると、いかにもどっしりして重厚である。
     他にも、扇風機(坑内通気のため空気を吸い出す設備)室の遺構や、山の神(鉱山の守り神である大山祗神社を分祠したもの)などが残されていて、国の重要文化財に指定されている。また、宮原坑と同じく国の史跡にも指定されている。
     第一立坑の施設は早くに失われ、かつて櫓は建てられていたコンクリートの蓋により閉塞された坑口の一部は、グレーチングになっており、今でも、地下約270メートルまで掘られた立坑を実際に見ることができる貴重な遺構である。第2立坑が各種施設を残しながらも、立坑そのものは土砂で埋め戻されているのと好対照をなしている。
     ちなみに、第一立坑に建てられていた巨大な鋼鉄製の櫓は、万田坑で使われたくなった後、北海道の三井芦別炭鉱に運ばれて、余生を全うしたそうである。同様なことは、田川の伊加利坑の立坑櫓が、大牟田の四山港沖立坑に移設されて閉山まで使用されていた例もある(閉山後解体される際に、一部の部材は田川に里帰りした)。
     二万平方メートルにも及ぶ広い敷地は、大牟田市と熊本県荒尾市にまたがるが、主要な施設はすべて荒尾市側に所在する。敷地内には職場や大工場という名称の作業場も残っており、坑内で使う道具や機械の製造、修理を行っていた様子を偲ぶことができる。また、建設当初の明治時代は、あらゆる機械が蒸気動力で動かされており、そのために蒸気を沸かした汽缶場の痕跡も敷地の内外に残っている。
     日本の近代史において、石炭がいかに重要な役割を果たしてきたかを学び、その採掘のために、大きな空間と施設の中に、技術と労働力が集約されてきた歴史を体感するのに恰好の場である。
     その広大さゆえに、今後文化財としての管理も困難さが予想されるが、荒尾市教育委員会が提唱して発足した「万田坑ファン倶楽部」が、すでに除草清掃など活発に活動しており、大いに期待される。近くの万田炭鉱館に駐車場があり、資料や模型を展示している。

    ▼大牟田市桜町202-1・熊本県に荒尾市原万田 ▼JR大牟田駅から西鉄バス神田下車、徒歩約5分 ▼外観は見学自由  電話0968-63-1111

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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