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     歴史・戦跡

    vol.49 潜塚古墳

    国指定史跡、多くの副葬品が出土した古式古墳

     駛馬天満宮の社殿の右側を通り抜けると、神社裏手の墓地の一角に小高い丘が見える。潜塚古墳である。駛馬北小学校の北東、約150メートルの高台に位置し、標高32メートルの独立丘の頂部に墳丘を築いている。
     古墳の上からは市内南部を一望でき、北西側には切石の箱型石棺を安置し、イモガイ製の貝輪を出土した宅ヶ峰古墳、東側には小型ぼう製鏡を出土した権現堂古墳、南側には諏訪川によって開析された平野が一望できる。
     潜塚古墳が、1959年に主体部を中心とした調査が行われ、その豊富な副葬品でつとに有名となり、1977年国指定の史跡となった。
     墳頂に埋葬された主体部からは、切石を組み合わせた箱形石棺が二基、東西に並んで発見された。東側の1号石棺は、周囲に人頭大の石を敷き詰め、内部には朱が塗られ、人骨とともに神人竜古画像鏡や管玉が副葬されていた。また、棺外には鉄剣や鎌、鉋が副葬されていた。1号石棺の石材は凝灰岩である。
     2号石棺は、小口に副室を持ち、棺内に三日月型に加工した内行花文鏡片、棺外に47本の銅鏃、鉄製の鋤先1、鎌1、鉋2が副葬されていた。さらに、南側には土師器の壺が2個据えられていた。2号石棺は1号石棺の周囲の石を切っており、1号石棺が先に埋葬されたものと思われる。
     当古墳では埴輪や葺石などの外表施設は確認できなかった。また削平は受けているものの、径約30メートル、高さ7メートルの円墳であると考えられる。
     近年の研究によれば、この古墳の築造年代は4世紀前半でもかなり古い年代と考えられるが、九州における弥生時代以来の伝統的な墓制を採用しながら、副葬品には銅鏃などの畿内的様相が見ることができ、九州における古墳文化の受容を考える上で興味深い古墳でもある。
     なお潜塚古墳の副葬品については大牟田歴史資料館に展示されている。

    ▼大牟田市黄金町2-469、他▼JR大牟田駅から西鉄バス倉掛行きで駛馬北校下車、徒歩5分▼現地の見学自由▼駐車場なし

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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