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     寺社

    vol.59 普光寺

    三池山一帯が修行場であったことを窺われる古寺

     宇今山実成院普光寺は天台宗山門派に属し、寺伝によれば開基は三池師親、開山は慈覚大師のよって712(弘仁14)年に開創されたという。
     本尊は千手観世音菩薩で、脇侍に不動明王と毘沙門天が安置されている。本堂の外陣(本尊を祀った東側)には県指定文化財の木像薬師如来坐像と同じく木像の慈覚大師坐像が安置されている。
     薬師如来像は1963年3月の解体修理の結果、樟材の一木彫で、両臀・両膝は添木していることが分かった。しかし、胎内銘文や修理銘文がなく、その時代判定は、目、口、鼻、肉髻、衣の襞などの手法から、平安時代から鎌倉初期を下らないことが推定された。
     慈覚大師像も薬師如来像と同時に解体修理された。そして、その頭部に玉琳坊澄慶が1429(正長2)年に造立したことが記銘され、上部には梵字で大日真言が墨書してあった。銘文から「久しく普光寺が荒廃していたので、自分が慈覚大師の御姿を造立し奉った」という意味が読みとれることから、1429年頃に一時普光寺が荒廃していたことが分かる。
     また、境内には、同じく県指定文化財の不動明王板碑と一乗経供養板碑がある。前者は有名な石工藤原助継が願主として奉納したものだが、記銘年がない。しかし彼の活躍した時代を想定すると、貞和年間(1345-50)の造立と考えられる。後者は、1577(天正5)年、豪澄が一乗経王を一千部看読または書写した記念に奉納したことが読みとれる。
     本堂の東側に、これも県指定文化財である石塔群がある。これは、もと三池宮登山道に沿った広い地域にあったのを拾収して復元配列したものである。総数36基、うち5輪塔90基、宝塔2基、宝篋印塔3基、如来坐像1基からなっている。在銘塔は72基で、年代は正和6(1317)念3月3日、53歳で入滅した刑部教意の五輪塔以下、永正17(1520)年塔まで200年余りに及ぶ石塔群である。五輪塔には、薩摩率師教弁、賢勝律師、澄泉律師、教恵律師など、仏法の戒律を指導する僧や比丘尼、禅尼、禅門など修行する出家信者の塔、在家信者の塔、逆修供養塔がある。
     このことから、普光寺周辺には天台宗、禅宗を修行する出家信者、在家信者の修行道場があり、修行する僧尼だちの生活規定や教義を指導する律師がいて、三池山一帯が修行の場であったことを窺わせる。
     また、五輪塔には密教の正規の種子を彫り込んだものがほとんどであり、宝篋印塔、宝塔にもこれらの種子が彫り込んである。五輪塔銘文は一般は一般には地輪に刻むのが普通であるが、ここでは火輪に刻んだものが15基もある。これは他所ではほとんど類例を見ない。

    ▼大牟田市大字今山2538 ▼JR大牟田駅から西鉄バス普光寺行きで普光寺下車、徒歩10分電話0944-51-2966

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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