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     寺社

    vol.61 定林寺

    「あじさい寺」としても有名な曹洞宗の古寺

     定林寺は大字今山大塔にあり、曹洞宗としては当地方では最も古い歴史をもつ寺院である。境内には東庭を磊庭と称し、古代の落石の跡に色とりどりの紫陽花が植えてあり、近郷では「あじさい寺」として有名である。
     大坂三池氏系図によれば「正治元(1199)年三池季時定林寺開基」となっており、寺の由緒によれば「永亨2(1430)年4月三池上総介創立」(『大牟田市史』1944年度版)となっている。
     この寺の裏手に歴代住職の墓地があり、その中に「当寺開山中翁邦大和尚、于時文安丑二(1445)年夏六月初七日化」の銘がある無縫塔がある。無縫塔は卵塔とも呼ばれ、縫い目がなく卵を逆さにしたような塔で、禅宗の僧侶の墓に多く見られる。
     この塔は六角台座と塔身からなり、全体が滑らかな流線の弧を描いており、安定したたたずまいは室町時代にふさわしい造形美をもっている。問題は塔に彫られた銘であるが、これは江戸後期の追刻で、守の一字が脱刻している。正しくは、「当時開山中翁守邦大和尚」で、十八代英機和尚の「三公供養塔」の碑文に「薩洲福昌寺中翁、守邦和尚而為開山禅師也・・・・」とあることから、守邦和尚が開山されたことがわかる。しかし、同墓地の五輪塔群の中に「昌春上座、応永5(1398)年二月十五日」銘の五輪塔がある。上座とは10年以上修行を積んだ僧で、指導的地位にあって徳のすぐれた修行僧に対する敬称であるとすると、守邦大和尚の開山は、久しく荒廃していた寺を再興した中興開山」和尚ということが分かる。
     また同寺の境内には「□□日久遠猶今日、前総刕(州)大守万勝融雄禅定門、長亨三白酉(1489)九月一日逝去」と刻銘された宝筐印塔の残欠がある。
     これは、1778(安永7)年の冬に定林寺にあった蓮池を浚えていたところ、一片の古石塔が出たので洗ってみたら、前途の墓碑であることが判明した。時の三池藩主立花種周は、この人物が前の領主三池氏であることから、新たに覆塔を造立し、その龕の中にこの墓碑を安置したのもである。
     この人物について、大阪三池氏系図では「三池上総介親勝、法名万勝融雄」とあり、肥後三池氏中村文書では、万勝融雄は三池親澄となっている。
     三池親澄については、普光寺の仁王尊像を解体修理した時の頭部碑文に、「大願主源親澄ならびに良松丸。于時文明五年癸巳(1473)十一月十五」とあり、同系図にも親澄があり、「良(吉)松丸(親直)二十三歳他界」とあることから、万勝融雄が三池親澄の信憑性が高いことが分かる。

    ▼大牟田市大字今山1878 ▼JR大牟田駅から西鉄バス普光寺行きで普光寺下車後徒歩15分▼0944-54-7501

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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