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     炭鉱

    vol.38 宮原坑跡

    炭鉱盛時の面影を残す国の重要文化財・史跡

     宮原坑は、1898年から石炭の採掘を始めた。明治後期における三池炭鉱の主力坑のの1つである。現在は、1901年に完成した第二立坑の施設が残され、国の重要文化財と史跡にも指定されている。
     宮原坑はかつて第一立坑と第二立坑の二つの坑口を備えていたが、第一立坑の方は、全くその痕跡が分からないように埋め戻されている。第二立坑の方は、高さ約22メートルの鋼鉄立坑櫓と、れんがで造られた小ぶりの巻上機室が、丘の上に可憐な姿で立ちつづけているが、深さ約160メートルの立坑そのものは、すでにコンクリートの厚い蓋で閉塞されており、地下につながる深い闇を目のあたりにして実感することも、立坑壁から噴き出て地底に落ちていく水音を耳にすることもできなくなってしまった。
     残された巻上機室は、赤れんがのイギリス積みで構築されている。窓や出入り口などの建物開口部は、すべて上部をアーチに組んでいる。窓は後の改造により、れんがやコンクリートブロックで塞がれているところもあるが、本来縦長で上下開閉式の格子ガラス窓だったものである。窓台はかなり風化しているが、砂岩製のもので、本格的な造りである。
     そして建物内部には、大きな巻上機が、稼動当時のままの姿で据え付けられてある。元々の蒸気動のものではないが、現存の電動式も1933年以来のもので、黒光りしながらある様は圧巻である。
     今は小さな宝石のような宮原坑であるが、周囲に目を凝らすと、かつて石炭を貨車に積み込んでいた大きな施設が工場に転用されていることが分かり、盛時の巨大な規模を実感することができる。
     その工場の前には、宮原町1丁目公園のカラフルな遊具が目に映るが、この公園は昔、三池集治監(監獄・刑務所)の出張所が置かれていた場所である。宮原坑第一立坑では、多くの囚人労働者が採炭に使役されていた。囚人たちは現在の三池工業高校と同じ場所にあった三池集治監に収監されており、そこから出役していたのである。
     そもそも宮原坑は、地下水を汲み上げて排出することを主な目的として設置された坑口である。地下で行われる石炭採掘において、大量の湧水は難敵である。三池炭鉱は地下水が特に多く開発に苦労していたが、イギリス製のデビーポンプという当時最新鋭で、非常に高価な排水ポンプを導入して克服した。
     デビーポンプは1893年、勝立坑に最初導入された。当時世界最大の排水ポンプであり、イギリスの文献や百科事典にも勝立坑のポンプが紹介されたほどであった。宮原坑は勝立坑についでデビーポンプが設置された坑口であり、今、宮原坑第二立坑櫓の脇にれんが塀のように残っている建物遺構は、かつてデビーポンプ室の一部である。汲み出された地下水を排出していた水路もよく残っている。
     宮原坑は今後見学しやすいように整備される予定だが、現在のような廃坑の雰囲気に魅力を感じる人も多い。建設当時の輝かしい姿を復元していこうとする基本姿勢との調整が必要になってくるであろう。

    ▼大牟田市宮原町1-86-3▼西鉄バスで大牟田駅から勝立方面へ早鐘眼鏡橋下車、徒歩7分▼照会先=大牟田市企画総務部 世界遺産登録・文化財室 電話0944-41-2515

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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