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     炭鉱

    vol.45 三井港倶楽部

    三池炭鉱の繁栄を物語る明治期の洋館

     三井港倶楽部は諏訪川河口に架かる国道389号線諏訪橋の西南約200メートルの位置に敷地を構え、西側には旧三川鉱跡が隣接している。
     問う倶楽部は1908(明治41)年に和洋館並立形式で建設され、現在は洋館のみが住時の姿を伝えている。『三池鑛業所沿革史』によると、1907(明治40)年7月に「船員並二新港關係職工人夫納屋建設用地買収費」として6.55万円が5町歩を買収した。建設工事は清水店(現・清水建設(株))が請け負い、契約日は、西洋館が同年7月12日、日本家が8月10日で、工事請負金額は、西洋館3万4463円19銭、日本家4024円13銭であった。
     小屋組の真束に釘止めされている棟札には「起工明治四拾年八月十日」、「上棟明治四拾一年二月十六日」、「棟梁清水満之助」などど記され、裏面には「設計者清水満之助」とある。清水満之助は4代目の社長であり、実際の設計者は明らかでないが、当倶楽部は中央の建築家による明治期の本格的な洋風建築である。
     現状は、東西38.18メートル、南北26.51メートル、建築面積665.33平方メートル、木造1部2階建、屋根部屋付、浅瓦葺で、表階段とベランダの屋根は亜鉛鉄板葺である。外壁は下見板張で、ハーフチンバー風に木骨を見せ、表階段は漆喰仕上げである。北を正面とし、北面東寄りに玄関を設け、一階には東側から新聞間、喫茶室、食堂、宴会場などが設けられ、南側の庭に面してベランダを付設する。二階には広間と四つの部屋があり、一号室は神前結婚式場、二号室は控室、三号室と五号室は食事室に利用されている。当初は、宴会場が球戯室(玉突場)、喫茶室で、二階は寝室であった。
     各部屋マントルピースを設け、腰板を張り(二階の一、二、三号室にはない)、上下式の窓を開け、二階では外側に鎧戸を付設する。天井には格縁で幾何図形Iに区切られ、部屋で異なった意匠を表している。小屋組は対束小屋組で、矩勾配の急傾斜の屋根を構成し、対束間の屋根裏はボーイ部屋であったといわれている。
     1986年に宴会場を東側に15尺増築し、北側に12尺拡張するなどの大改修を行った。1961年には二階物置が便所に改修された。戦後、1949年までの米軍接収時には、南側の芝生の庭にテニスコートが設けられた。1936年に玄関の庇を取り付け、1920(大正9)年以前に洗面所・玄関にタイルを張り、1916(大正5)年に裏階段上部に便所を設け、食堂を西側に拡張した。
     以上のようにさまざまな修理を受けながらも、西洋館は90年以上を経過した今日、当初の形態をよく伝えており、大牟田を代表するすぐれた建築である。

    ▼大牟田市西港町2-6▼国道389号三川坑前交差点すぐ▼無休▼旧三井港倶楽部 0944-51-3710

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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